AI発達で2045年に予測されるシンギュラリティとは
技術的特異点(シンギュラリティ)とは、人工知能(人工超知能、汎用人工知能、AGI)の発明が急激な技術の成長を引き起こし、人類の知能をAIが超えることで、人間文明に計り知れない変化をもたらすという仮説のことです。
昨今、このシンギュラリティはメディアを軸に話題になっておりご存知のことかと思います。2045年ごろと予測されていたシンギュラリティは、2029年ごろになるとか、もっと早まるとか様々なことが言われています。
今回はそのシンギュラリティと教育という観点で、未来がどうなっていくのかを考察してみたいと思います。
■シンギュラリティを迎える頃には、プログラミングが必修世代が経済の中心に。
今の義務教育が昔と変化しているのはご存知かと思います。英語が小学校から習われたり、ダンスが科目の中に入ったり。その中でも話題になっているのが「プログラミング」です。義務教育内でのプログラミングの狙いは、コンピュータの操作スキルの習得ではなく、問題解決能力の発達にあるのですが、すでに身近なものとしてプログラミングが入り込んでいます。この世代はシンギュラリティを迎える時代の経済の中心となる世代なのですが、このプログラミングのスキルと、人類の知能を超えたAIはどのように連鎖するのでしょうか。
■「上流」を担保するのは人間
シンギュラリティによってプログラマーが職を失うのではないか?といわれているため、となると現在のプログラミングの授業は必要ないのでは?と思いがちですが、実際にはAIによるカバー範囲は合理的判断を下すオペレーターの域を出ないでしょう。新たな価値を生み出すイノベーターには、合理にとわられない発想力が必要であり、管轄を行なうマネージャーには、空気を読んだバランス力が必要です。
例えば、1部署をまとめている部長がAIに変わり、各部員のストレスを最低限にすべく合理的な判断を下した場合、恐らくうまくはいかないでしょう。それには、各人のストレス耐性の差や人間関係による承諾・承認が存在するからです。性格や感性などに影響され、合理的ではない方がうまく機能する場合もあります。
つまり、知能が人間をオーバーフローしたとしても、上流に値するその差配は人間の手によるものの方がうまく機能するといえます。
これまでの社会では、スペシャリスト技能が個々の人間の優位性ととれましたが、これからはそんなスペシャリスト技能を修得するよりも、いかに動かし、利を得ることが出来るか?のスキルの方が重要視される時代になるかもしれません。